生粋のアニオタが声優鈴村健一様に転がり落ちただけの話

お越しいただいた皆様、初めましてこんにちは。

年の瀬の夜中に突然ブログを開設しました。

最近はアカウント開設もずいぶん簡単になったものです。

 

などと気分よくほうじ茶をすすっていましたら、部屋のインターホンが鳴りました。

只今0時20分です。

つい部屋のドアを開けてしまいましたが、牛丼を二つ持った男の人が気まずそうに「すみません」と笑っていました。

恐らく部屋を間違えたのでしょうが、恐ろしかったので即ドアを閉めました。

そもそもこんな深夜にドアを開けてはいけませんね。

はあ怖かった。

 

さて、本題に移りますが、こうしてわざわざブログを開設したのは

声優鈴村健一様。このお方のアーティスト活動10周年イヤーの最後のタイミングに

自分の今の想いを書き残しておきたかったから。

ただそれだけです。

お付き合いいただいた皆様すみません、ただの情熱日記みたいなものなのです。

何卒ご容赦下さいませ。

 

ただしBGMには谷山紀章さんのラジオ「谷山紀章の明日も頑張ります!」が流れています。

こちらもどうぞよろしくお願いします。

 

まずは私が鈴村健一様と出会ったお話からしましょう。

いえ、その前にお話ししておくことがありましたね。

 

私は生粋のアニメオタクです。

いつから、というと小学生の頃からです。

ちょうど私が小学校中学年の頃がジャンプアニメ大盛況だったこともあり

毎日夢中で見ていましたし、ジャンプ本誌はそろばん教室に置いてあるものを男の子たちと奪い合いながら読んでいました。

たまたま私の周りの友人たちもアニメや漫画が大好きだったので、みんなで担当を分けてアニメ雑誌を買って楽しんでいました。

そんな私たちにとって、声優さんは当たり前に脳内に入り込んでくる存在だったのです。

 

ではいつから鈴村健一さんを知ったのか?と聞かれるとはっきりはお答えできません。

そもそも声優さんというのはキャラクターの声を充てている職業なので、最初から心に刺さってすぐに名前を覚える、というよりも、何度か聞いていて自然と気になってくる。

こう感じる方が多いのではないかと思います。

(飽くまでざっくり統計ですが)

 

そんなわけで、例によって自然と認識するようになりました。

恐らくご本人がおっしゃっている「売れて来た時期」になるのだと思います。

ある時期から急激にお見かけすることが増えた覚えがあります。

それに伴ってラジオもいくつか聴いていました。

ただ、この頃はまだご本人が好き、というよりも「作品が好き」の方が強かったです。

 

大きく認識が変わったのはつい最近、文化放送のラジオ「ユニゾン!」がきっかけでした。

ここからさらに脱線して少しユニゾン!についてお話したいと思います。

そろそろ自分語り飽きてきました?わかります。Uターンはお気軽に。

 

はじめは寺島拓篤さん目当てで視聴し始めたユニゾン!でしたが

毎週日替わりで横並びに放送していたこともあり、段々と他の曜日も気になるようになりました。

特に鈴村さんが担当している木曜日は一週間の総括もあったので、聴いてみようかな~という軽い気持ちで手を伸ばしました。

 

この木曜日の放送がとんでもなく面白かったんです。

 

寺島さんの担当する水曜日は穏やかな空気が流れていたので、その対比も大きかったのだと思いますが、テンポの良い番組進行、静と動のバランス、すべてが魅力的に聴こえました。

ふと中高生の頃に聴いていた深夜ラジオを思い出して、じんわり懐かしい気持ちも生まれました。

今までアニラジといえば、インターネットラジオが主流で、生放送はあまりなかったように思います。(私が知らなかっただけかもしれませんが)

生放送だからこそできる電話企画や、Twitterとの連動もあり、今までのアニラジとは少し違う色に見えたのです。

最終的には、全ての曜日を聴き始めるようになりました。

 

鈴村さんの担当する木曜日のコーナーの中で、曲のリクエストコーナーがありました。

ニゾンを聴き始めた頃は、じっくり鈴村さんの曲を聴いたことがなかったのですが

リスナーさんの想いと共に紹介される曲に、どんどん惹き込まれていました。

思わず涙がこぼれた日もありました。

今思えば、「深夜の力」というものが確かに働いていたと思います。

リスナーとパーソナリティで、こっそり秘密を共有しているような、形容しがたい感覚がありました。

今日の放送を聴いていた人たちだけがわかるよね、得しているよね。狭いのか広いのかすらわからないコミュニティの中に、自分がいるような気分。

この感覚は同じように番組が出来ても、今後味わえないだろうと思います。

それは何故なら、その時は比較対象がなく、新鮮で挑戦的な企画だったからです。

一度味わってしまった感情は根付いて、目を曇らせてしまうでしょう。

経験を重ねることは目を肥やすことで、良いことでもあり、時には残念なことでもあります。

視界を洗い流すことはできないけれど、磨き上げることは出来ます。

困難はあるかもしれないけれど、私は後者を取って行きたいと思っています。

 

少し話が逸れましたが、ようやくきっかけのお話まで辿り着けました。

そんなご縁があり、段々と単独ライブに行きたいなあ、と思うようになります。

おれパラに行っていたのがどのタイミングなのかはっきり思い出せませんが

恐らく興味は徐々に芽生えていったのだと思います。

 

そんな中、鈴村さんがアーティスト活動10周年を迎えました。

最初から応援されていたファンの方は特別な思いがあったことでしょう。

他と比べるわけではありませんが、鈴村さんのファンの方はとても人間性が素晴らしい方ばかりです。ファンの目標のように見ています。

ご本人と、ファンの皆さんの関係性が素敵だということは、10周年記念ライブ「lo-op」に参加して気づきました。

 

10周年記念ライブに初めての人間が行っていいのだろうか?という不安を持ちながら

思いきって一人で参加してみました。

一人で参加している寂しさは開演と同時に全て吹き飛び、腰が抜けるほど素晴らしいひとつの作品になっていました。

10年の様々な思いや、経験がぎゅっと詰め込まれたステージでした。

簡単に言葉にすることができませんが、長い時間をかけて積み上げてきた、鈴村さんとファンの間の絆を、様々な形で感じることが出来ました。

頭から最後まで、ボロボロと涙が止まらず、目をぱんぱんに腫らして帰りました。

 

余談ですが、鈴村さん関連のことになると途端にラッキーになる私は

ライブの後、ばったり専門学校の友人に再会しました。

およそ6年ぶりぐらいです。

たまたま喫煙所に居て気づいたのですが、その状況で出会える確率って…と思うと、本当に不思議な巡り合わせです。

お互いに一人で参戦していたので、沢山話すことができました。

 

こうして見事にゴロゴロと沼に転がり落ちて行ったわけですが、冷静に何故そんなにはまるのか?と考えても、説明しきれない部分が多いような気がします。

鈴村さんの人間性や経験が音楽に全て詰め込まれていて、渦巻いたエネルギーが人の心に刺さるのか?正確に説明することは今後も出来ないと思います。

人の心を動かせる音楽を、鈴村さんと、音楽活動に関わるたくさんの人で作り上げていて、それぞれが鮮やかなビジョンの元に創作しているんだろうなと感じています。

 

その力がすごいものだと痛感したのは、今年のおれパラでした。

今年はユニットのゲストも多かったですし、鈴村さんの曲を知らない人もたくさんいましたが

多くの人が「この世界の好きなところ」で泣いた、と話しているのを聞きました。

涙が出る程感情を揺さぶることができる、というより、この場合は入り込む、の表現の方が正しいかもしれません。

何だかファンの一人として、とても嬉しい気持ちになりましたし、音楽の真髄を見たような気がしました。

 

ステージ上で会場全てを包むような姿を見た時、この人の背中を見て歩めば、きっと迷わず、自分で立ってまっすぐ進めるだろう、と思いました。

転んだり、雨が降っても、土を慣らしながら立っていられる。

 

そんな風にポジティブにしてくれる鈴村健一様、輝かしい11周年目のスタート、しっかり拝ませていただきたいと思います。

 

つまり何が言いたいって、”わらうた”に行きませんかって話でした。

 

それではパシフィコ横浜で会いましょう!!!!!!